第0章 序説 ―Before the Story―
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自分が不幸だと思ったことは、特になかった。
両親が離婚した時も、「まあ珍しい話ではないだろう」と納得し、特に抵抗なく父親について行った。母親が嫌いなわけではなかった。むしろ、酒を飲むと暴れる癖のある父よりも、優しい母の方が、何倍も好きだった。
ただ、当人たちの間でそう結論づいたのなら、それに従うのが賢明だと思ったまでなのだ。それが両親を困らせることのない方法だと、8歳の頭で思っただけなのだ。別れ際に泣きもしない息子を見て、母親が泣いていたのを覚えている。
父親が見知らぬ女を連れてきた時も、別段動じなかった。
やけにこちらに馴れ馴れしく、異様に取り入ろうとしてくる香水臭い女に対し、至極普通に振る舞った。挙げ句、その女と父が籍を入れることも何となく想像していたし、その結果血のつながらない妹ができても、珍しい話ではないだろうと思っていた。
ただ、当の妹は環境の変化を簡単に受け入れることができなかったようで、初めて会った時には、鬱病を疑うほどに憔悴しきっていた。まだ7歳の子どもだし、仕方ないと、8歳の頭でそう思った。
父親が死んだ時はさすがに少し泣いたような記憶があるが、その再婚相手が死んだ時は、全く泣かなかった。血の繋がらない妹は、どちらの時もわんわん泣いていた。父親の死因は交通事故で、母親は自殺だった。
その結果、自分たち兄妹は母親の親戚の元に預けられた。概ね、世間体を気にしていただけのことだろう。大した遺産も保険金もなく(おそらくはそれが母親の自殺動機だったのだろうが)、ただの厄介者でしかない自分たちは、だいぶ冷遇された。特に、血の繋がりも何もない自分は言わば赤の他人でしかなく、輪をかけてひどい目に遭ったが、それも仕方のないことなのだと思っていた。
中学の担任はそれを知ってかなり面食らっていたが、特に何か行動を起こしてくれるわけではなかった。誰しも、自分の身に振りかかる火の粉は怖い。特に教師という立場なら、なおさらのことだろう。だから、それもまた仕方ないことだろうと思っていた。というより、半ば諦めていたのかもしれない。
そんな生き方だからだろうか。
自分には、親しい間柄と呼べる者が、誰一人としていなかった。気づけば、自分は大抵一人だった。一人で大抵のことをできるようになっていた。それが特に苦痛だと感じたこともない。むしろ、他人との間にいざこざができるくらいなら、最初から一人でいた方が楽だと、そう思っていた。そして、恐らく今後もこんな風に生きていくのだと、諦めのような何かを察していた。
だから、「人は一人では生きていけない」と誰もが当然のように信じる言葉が、ひどく胡散臭いものに感じられた。一人で生きる方がずっと楽なのに、と、そう思わずにはいられなかった。そして毎回、同じ問いに辿り着く。
その言葉が真実なら、今の自分は死んでいるか――そもそも人ではないということになってしまうのではないだろうか、と。