第1章 邂逅ーHappening-【13】
「――!」
ダンの視線が、素早く右に動く。彼は目にも留まらぬ動きで、視線を向けたその方向にトーマの身体を押しやった。
刹那、タンッ、と乾いた音が数発鳴り響く。その音に少し遅れて、トーマの背中から黒い血が吹き出した。
「がふっ!?」
その口の端からも、黒い液体が滴る。ダンが手を放すと、トーマはダラリと地に膝をついた。その背中には、何かが撃ち込まれたような痕が残っている。
「て……てめえ、人のこと、弾除けに……」
「……傷口が回復していない。なるほど、銀製の銃弾ですか」
ダンはその様子を一瞥し、視線を上げる。朝陽が同じ方向へ振り返ると、そこには二つの人影があった。
「そげなに遠慮せんと、ようけ撃てばええものを」
そのうちの、大柄な体躯の男が低い声で尋ねる。すると、その傍らに立つ女性は、構えていた銃をおろした。短めに切られた銀髪が、月光を受けて輝いている。
「あれ以上撃っても無駄だった。いくら撃とうが、あの金髪の身体を盾にされて、それまでだ」
「じゃけど、一人は殺せたじゃろうに」
男が肩をすくめると、女性は彼の言葉に眉を寄せる。呆れた表情でため息をつきながら、女性は男の方に視線を向けた。
「殺してどうする。生け捕りにするという手はずだろう」
それに、と言葉を切って、女性はダンの方に一瞥をくれる。
「あの男、全部急所を外している。あのまま連射し続けていようが、全部ギリギリのところで致命傷にならなかっただろう」
「ふーん、つまらんなぁ」
口にしながら、男は一歩前に出る。短く刈り込まれた髪の下で、細く鋭い双眸が光っていた。それを見ると、ダンは何かに納得したように頷いた。
「そうですか、あなた方が日本の……思ったよりは、対応が早かったですね」
対峙しながらダンが口にすると、男は小さく笑みを浮かべる。「嫌味のつもりか」と彼が尋ねると、ダンは首を横に振った。
「いえ、そのようなことは。言葉の通りです。当初我々が練っていた計画とは、だいぶ手はずが異なっていますからね。あなた方のお仲間が嗅ぎまわっていた時の、計画とは」
「お前たちが向こうの支部の連中を掻き回してくれたからな。おかげで全部後手後手だ」
手に持った銃を見て女性が澪すと、男が同意するように頷く。
「そうじゃなぁ。おかげで、こげぇな武器しか用意できんかったし。こげに大掛かりなことするんじゃったら、大層な武器使(つこぉ)ても、ばれんかったじゃろうに。まあ、われらぁ部下まで巻き込んで兄弟喧嘩に夢中じゃったけぇの、ここまで来るんに苦労はせんかった」
どこか小馬鹿にするように口にしながら、男は腰の辺りから短刀のようなものを取り出した。鈍い光を放つ刃を見ると、トーマは苛立ったように舌打ちをする。
「やる気かよ、この番犬どもが」
トーマが、よろよろと立ち上がる。彼はチラッとダンの方を睨んだが、すぐに男の方へと向き直った。兄弟でやり合っている場合ではないと、判断したのだろう。
「はは、番犬じゃのぉて猟犬じゃ。そこまで行儀ようないからの」
「うっせぇ!このジジイ!」
「ジジイたぁなんだ!わしゃぁまだ55じゃ!」
二人がガミガミとやり合っている中で、女性とダンは静かに視線を交錯させていた。彼女は黙ったまま弾倉を入れ替える。その視線が、何が起きているのか分からずに呆然としている朝陽に、わずかに向けられる。
「少しの間物陰にでも隠れていろ。巻き込まれるぞ」
「え!?あ、は、はい!」
慌てて返事をすると、彼女は急いで駆け出した。
「ふふ、心配せずとも、お嬢さんに手を出したりはしませんがね」
いや、と口にしながら、女性が銃を構える。
「私が、巻き込まない自信がないんでね」
「ほう、それはとても恐ろしい」
一寸もそんなことを思っていなさそうな表情のまま、彼は足元のステッキをつま先で蹴り上げると、パシッと右の手のひらに収めた。
「時間も押しています。そろそろ始めると……」
まだ言い切らないうちに、再び乾いた銃声が鳴り響いた。それと同時に、四人が別々の方向へ動き始める。
「コウガネちゃん、そっちは任せてええか?」
「無論だ」
女性はダンとの間合いを詰めるように駆けながら、弾丸を数発に渡って撃ち出す。秒速にして実に300mを超えるそれを、しかしダンは瓦礫の合間を縫うように移動しながら、全てかわしていた。
「……なかなか、嫌な弾道ですね。よく訓練されているのが分かります」
「避けながら言われると、皮肉にしか聞こえないがなっ!」
後ろ手に、彼女はホルスターからもう一つ拳銃を取り出す。続けざまに放たれた弾丸は、ダンの頬をかすめた。
「ほう……避けたつもりだったんですが」
「こっちも、当てたつもりだったんだがな」
ダンは頬の傷口を指先で拭うと、地を蹴って一気に女性との距離を詰めた。
「では、次はこちらから仕掛けさせてもらいましょうか」
俊敏な動きで振り下ろされたステッキを、女性は紙一重で避ける。彼女はそのまま、左手に持った銃をダンの額に向けて突き出す。その動きには、一切の無駄が無かった。
「させませんよ」
しかしそれを上回る素早い動作で、ダンの左手が彼女の手から銃を叩き落す。そのまま流れるように掌底を繰り出すが、女性はそれを左手でいなしていた。
舌打ちしながら、今度はすかさず右腕を上げる。ダンはその動作に気づくや否や、後方に距離をとる。再び数発の銃弾が放たれたが、彼は宙返りをしながらそれをかわしきった。
「ほー、さすがじゃのぉ。あれを全部避けられるんか。まるで曲芸でも見てるみたいじゃ」
「余所見してんじゃねえよ!このクソジジイがっ!!」
トーマの怒号に、男が慌てて振り返る。直後、何メートルもある巨大な瓦礫の塊が、トーマの手から放られていた。
「おおっとぉ!?」
あまり機敏とは言えない動きながらも、なんとかそれをかわす。地面に瓦礫が叩きつけられた瞬間、まだその場から離れる途中だった朝陽のいる場所まで、振動で大きく揺れた。
「危ないのぉ。当たったら痛いじゃ……」
その瞬間、男の顔に影がかかる。直後、彼の視界は再び、瓦礫に塞がれていた。
「おら!二投目、三投目!次々いくぞ!」
息を飲む間もなく、先ほどよりも大きな瓦礫が、男のことを押し潰す。避け場のない瓦礫の雨に、男の姿は埋もれていった。
「はは!余裕ぶっこいてるからだバーカ!」
嘲るようにそう言うと、ダンたちの方に視線を向ける。
「さて、あっちでやり合ってるうちに、『目』と『心臓』を……」
「イタタ……おぉ、いてえ」
不意に聞こえてきた声に、トーマは弾かれたように振り返る。瓦礫の山を押しのけて、先ほどの男が這い出てきていたのだ。
「なに……!?」
目測でも、数トンはある事が分かる瓦礫の山だ。無論、そんな物に押し潰されて、生きているはずはない。トーマが目を見張るのを見ると、男はニヤリと口角を上げる。
「なんじゃ、化け物でもみるような顔して」
男の身体が、素早く動いた。あっという間に距離を詰めたかと思うと、男はその巨体をトーマの懐に潜り込ませていた。
「化け物は、われらの方じゃろうが」
ザンッ、という音に遅れて、黒い血が舞った。腹部を狙った一撃は、トーマが咄嗟に出した左腕に刺さり、狙いが逸らされる。ちょうど左手首に数センチ程度食い込んだだけの短刀を見て、男は少しばかり驚いたように細い目を見開いた。
「お……?手首くらい切り落とせると思うたんじゃが……ずいぶん硬いなぁ」
「ちっ……こいつも銀製か……」
男はすぐさま短刀を引き抜くと、そのまま手首を返して再び切り付ける。
「なめんなッ!!」
繰り出された刃を、右の手で握って受け止める。次の瞬間、バキン、と音をたて、銀色の破片が砕けて飛び散った。
「んっ……!?」
男は慌てたようにバックステップを踏むが、追い討ちをかけるようにトーマが振るった右腕が、男の右肩と頬を掠める。男はバランスを崩して後ろ向きに転がるが、なんとか距離をとって立ち上がった。
「ふん、よけやがったか」
「馬鹿言うな。かすっとるわ」
男はそう言うと、口からプッと何かを吐き出す。そこには、血にまみれた歯の破片が転がっていた。
「あーあ、この歳で入れ歯デビューか。げに、嫌になるわー」
「は!老いぼれのくせに強がってんじゃねーよ!その調子じゃ、右肩も上がらねーだろ!あれ?四十肩かなぁ!?あ、五十肩か!」
「うるさいわ!このハゲ!」
男は右肩を押さえながら、トーマの方に数歩近づく。
「おいおい、まだやる気かよ。もうお前のエモノは壊れてんだから、無理すんなジジイ。介護する周りの方が大変だぞ」
そう言いながら、トーマは両腕を構えた。それを見て、男は苦笑する。
「だから、55じゃと……」
グン、と男は姿勢を低くする。次の瞬間、男は地面がえぐれるほどに強く、地を蹴っていた。
「何回言やぁ分かるんじゃ、ボケぇ!!」
トーマの構えをすり抜けた拳が、顔面に叩き込まれる。遅れて、その衝撃音が周囲へと響き渡った。