
第1章 邂逅ーHappening-【14】
「ぶっ!?」
ゴキンッ、と何かが砕けたような音とともに、トーマの身体が宙に舞う。そのまま十数メートル飛んだ後で、その身体は瓦礫の山に突っ込んで止まった。大きな振動が辺りを揺らし、天井からパラパラと埃が降ってくる。その様子を遠巻きに見ていた朝陽にも、それが明らかに人間業ではないことが分かった。
「ガキをしかるときゃぁ、拳骨にかぎる。きしゃっと身体に覚えさせんから、きょうびのガキは調子こくんじゃ」
「……くっ……」
よろよろと、トーマが瓦礫の中から身体を起こす。その鼻や口からは、黒い血が膨大に滴っていた。
「今ので首が吹っ飛ばないんか。本当に硬いの。まあ、左手で殴ったし、しゃあないか」
そう言いながら、つかつかとトーマの方に歩み寄る。男は、そのまま間髪入れずに再び左腕を振り上げた。
「くそっ……!」
トーマは、振り下ろされる拳から、顔を逸らすようにして逃れる。凄まじい衝撃音とともに、トーマの背後の瓦礫が粉々に砕けた。トーマはその瞬間を狙うように、右手を男の顔に伸ばす。
「おっと、さすがにこれ以上歯折られるんは勘弁」

男は紙一重で後退し、それをかわした。その隙に起き上がったトーマもまた、素早く後方に距離を取る。トーマは男を睨むように目を細め、口元の血を乱暴に拭った。
「てめえ……巫(かんなぎ)か」
「んー?ようそがぁな古い呼び方知っとるの」
トーマの視線が一瞬、ダンと少女の方に向けられる。
「……あの女もか」
「ふん、察しええの」
男もまた、二人の方へと顔を向けた。その先で、二人は動きを止めて対峙していた。
「……これは」
ダンは、自分の右の手のひらに空いた穴を、不思議そうに見ていた。その穴越しに、二丁の銃を構えた女性が立っている。
「おかしい、ですね。完全にかわしていたはずですが」
「なら、完全じゃなかったんだろう」
ダンが右手を下ろすのと同時に、二丁の銃が再び火を噴いた。ダンはすぐさま駆け出すと、手に持ったステッキを頭上へと放つ。ステッキが、かろうじて形を残していた天井へと突き刺さり、ガラガラという音をたてて崩れ始める。しかし、女性はそんなものには見向きもせず、ダンに銃を向けたまま駆け出した。
「……なるほど、やはり、そういうことですか」
天井から落ちてくる瓦礫をうまく盾にしながら、ダンは銃弾をかわしていく。その視界に、わずかに残っていた建物の壁越しでこちらを見ている朝陽を捉えた。
「おっと、これはいけませんね」
その頭上の天井が崩れかかっているのを見て、ダンは呟く。ダンはそのまま、朝陽の方に進路を変えた。
「お嬢さん、頭を下げ……」
その瞬間、前方から飛んできた弾丸を避けるため、ダンは横に大きく跳んだ。いつの間にか彼女は、朝陽のすぐ近くまで回りこんでいたのだ。
「天井が崩れる、早くこっちに」
女性は片手の銃をホルスターに納め、朝陽へと手を伸ばした。その間も、彼女はダンへと銃を撃ち続けている。
「え!?わっ……!」
女性は素早く朝陽の手を引くと、銃を撃つ手を止めないまま駆け出した。どこか現実離れした姿の女性の後を、戸惑いつつもついて行く。自分の理解の及ばないことが起きているということしか、朝陽には分からなかった。
天井がほぼ全て崩れ落ちてから、女性は足を止める。それに対峙するダンは、右の脇腹を片手で押さえていた。
「また一発、貰いましたか」
「その一発を当てるのに、何発無駄撃ちさせられたと思ってる。あの瓦礫の雨の中で、よくあれだけ動けたものだ」
それを聞いたダンが、おかしそうに吹き出した。
「ふふ……これは失礼。ですが、その台詞はそのままお返ししますよ。あの瓦礫の雨の中で、上にも足場にも一度も目を向けず、それでいて、瓦礫にかすりもしていない。それどころか、私に一発お見舞いするとは……」
ダンの視線が、再び鋭さを増す。
「明らかに、人間の視界では不可能な動きです」
「……私たちは人間だ。お前らと一緒にするな」
腹の底から出したような低い声に、朝陽は思わず悪寒のようなものを感じ、女性の顔を見た。眉間の間にしわを作り、歯を食いしばったその表情からは、憎悪以外の何も感じられない。
「おっと、失言でした。申し訳ありません。決して、そのような意味で言ったわけでは……ですが、あなた相手にこのままというのも、少々分が悪い」
そう口にしながら、ダンは胸元の辺りまで左手を持ち上げた。その瞬間、女性は何かに感づいたように身構える。
「大人気ない……などと、思わないでくださいね。これを使うのは、あなたがそれに値する猛者であると認めているからです……おや?」
ふと、何かに気づいたように、ダンは顔を上げる。その視線が周囲を巡ると、彼は何かに納得したように頷いた。
「なるほど、あなたたち二人だけではなかったのですね。まあ、当然といえば当然ですか。……トーマ!」
その声に応えるように、少し離れた瓦礫の山が崩れた。その中から、砂埃まみれのトーマが這い出てくる。
「んだよクソ兄貴!好き勝手やりやがって……」
「埋まっている場合ではありませんよ。囲まれています」
「んなこと、いちいち言われなくとも……」
周囲に視線を走らせ、トーマは舌打ちをした。
「……そこそこ多いな……」
「これだけの大騒ぎを起こしたんです。恐らく、それ相応の手だればかりでしょうね。今は退くとしましょう。トーマ、もちろんあなたもですよ。彼らに右腕まで取られてしまうと、少々厄介ですからね」
トーマが、いらだったようにダンを睨みつける。不快感を露にしたその視線を浴びても、ダンは眉一つ動かさなかった。
「てめえ……オレがやられるって言いてぇのか?」
「おや、きちんと言葉の意味を理解できたようですね。あなたにしては珍しい」
次の瞬間、トーマは再び右腕を振るっていた。大気が大きく振動し、周囲に積まれた瓦礫が音を立てて崩れる。そんな中、ダンは風圧で飛ばされそうになった帽子を押さえながら、悠々とそれをかわして、トーマに背を向けて歩き出していた。
「いい加減にしろよこのクソ野朗がっ!!てめえから先にバラしてやってもいいんだぞ!!」
「できもしないことを吠えないことですよ、トーマ。余裕がなくなると声を荒げるのは、あなたの悪い癖ですね。余計に小物に見えますよ」
そのまま優雅に歩くダンの背に、再び銃弾が飛ぶ。だがそれを、ダンは目にも留まらぬ速さで振り返りながら、左手の中に収めていた。

「このまま逃がすと思うか?」
女性の言葉に、ダンは微笑を浮かべながら答える。
「ええ、あなたたちはこれ以上私たちを追ってはこない。そのお嬢さんがあなた方の手の内にいることで、当面の危機は去るのだから。後顧の憂いとは言えど、リスクを冒してまでここで私たちを倒すことはしないでしょう」
ダンがその手を開くと、弾の代わりに、砕けた金属片と灰のようなものがパラパラと地に落ちる。女性がそれを見て目を細めたのは、見逃されているのが自分たちの方である事を、見抜いたためだろう。
「ご心配なく。いずれ、また会うことになるでしょうから」
「……ああ、いやでもな」
女性はぶっきらぼうに答えると、銃をおろした。
「しかし、このまま何の手土産もなく逃げ帰るのは、何とも口寂しい。代わりと言っては何ですが、ぜひともあなたのお名前をお伺いしたいものですね。私は、『女王』の長子、ダンと申します」
「……甲鐘彩夏(こうがねさいか)」
それを聞くと、ダンは満足げな表情で帽子を取り、頭を下げた。
「では、甲鐘さん。以後お見知りおきを」
そんな言葉を残して、ダンは歩き去って行く。舌打ちとともに眉をひそめながら、彼女は残ったトーマの方に視線を向けた。それに気づくや否や、トーマは大きく後方に跳びながら距離を開ける。
「あーあ、白けたし、オレも帰りますかねー。まだ『右腕』も本調子じゃねえし」
言いながら、トーマが左手の中指を立てる。直後、再び銃声が鳴り響いたかと思うと、その指が黒い血液を上げながら、宙を舞っていた。
「……ったく、ジョークも分かんねえのかよ、この女」
トーマは不機嫌そうな顔をしながら、拳銃を向けている女性に毒づく。そこから再び銃弾が放たれると、彼は大きく跳躍しながらそれをかわし、暗闇に紛れるように消えていった。それを見送ってから、朝陽はその場にへたり込む。まだ女性と繋いだままの手に、じっとりと汗がにじんでいた。