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第1章 邂逅ーHappening-【12】

 

 

朝陽は、どうしていいのか分からず、ジリッと一歩下がる。この男には、トーマと違って話が通じる。どちらかといえば、先ほどの女性に近いタイプだろう。話の仕方によっては、このまま見逃してくれることもあるかもしれない。しかしなぜだか、どこか不安を拭い去れない感覚がしていた。

 

 

「あなたが、母の最期を看取ってくださったのでしょう?きっと、母は喜んでいると思います。しかし、まあ……私としては、実の息子である私がその役を担えず、心苦しくもありますが」

 

 

わずかに自嘲気味な笑顔をたたえる。どこか憂いを帯びたそんな笑顔も、まるで絵画のようだった。

 

 

「おやおや、上品振りながら、よくも口が回ること!てめえのそういうところ、一周回って清々しいな!よもや、その左腕が誰のモンか、忘れたと――グッ!?」

 

 

ダンは、振り返りもせずに、ステッキを振り上げる。その先の部分が、トーマの顎を捉えていた。掬い上げるような一撃を見舞われ、トーマは仰向けに倒れる。その間も、彼の表情は崩れない。その笑顔が、いやに不自然なものに感じられた。

 

 

「ところでお嬢さん。母から何か預かっている物があると思うのですが、よろしければこの場で、それをお渡しいただけますか?」

 

 

「……預かっている物?」

 

 

「ええ。恐らく、この愚弟の手に渡らないように、一時的にあなたに預けたのでしょう。ですが、それを持っていてはあなたに危害が及ぶかもしれません。何ゆえ、遺産のようなものですから……この男のような者たちが、絶えず狙っているのです」

 

 

いったい何の話をしているのだか、いまひとつ要領を得ない。恐らく、さっきから『目』だとか『心臓』だとか呼ばれているもののことだろう。いや、もしかしたら『目』と『心臓』そのものなのかもしれない。だとすれば、納得できることもある。

 

 

実際、トーマは母親からちぎった右腕を自分の身体に癒着していた。無論、どんな理屈かは分からない。そして、先ほどの『左腕』という発言も、このダンという男が母親のそれを奪ったことを示しているのかもしれない。

 

 

だとすれば、だ。

 

 

この二人は、『目』と『心臓』という二つの器官を、彼女が持っていると思っているのだ。

 

 

「遺産……って……どうしてあなたは、そんなこと聞いてるんですか?自分の……母親、なんですよね?その人が亡くなったっていうのに、どうしてあなたは、冷静にそんなことを尋ねてられるんですか?」

 

 

ああそうか、と、彼女は心の中で納得する。自分の母親が死んだというのに、これだけ表情を取り繕うことができる。今まで、この男を見てどこか不安に感じていたのは、そういうことだったのだ。自分の母親の死をなんとも思っていない。つまりは、そこに転がっている金髪の男と同じなのだ。

 

 

そして、彼女はそれが許せない。恐らく、彼女自身の親が死んだときのことと重ねている部分もあるのだろう。

 

 

「それどころか、一度たりとも遺体を見ようとすらしない。まるで物でも扱うみたいに……」

 

 

ふむ、と、ダンは困ったような表情を浮かべる。しかし、すぐに口元に笑みを浮かべると、「遺体、とはいい言葉ですね」と口にした。

 

 

「は……?」

 

 

「故人の体を、死体ではなく遺体と呼ぶ……亡くなった方への、敬意が表れている。美しい言葉です」

 

 

陶酔に浸るような、そんな表情のまま、彼は続ける。

 

 

「誤解しないで聞いていただきたいのですが、遺体を故人そのものとして敬うのは、人間特有のモノだと思うのです。人に最も近いとされるチンパンジーでさえ、仲間が死んでしまったら、邪魔になってしまったそれを物陰に隠す。あるいは、それを食べてしまうこともあるそうです。自然界では、それは貴重なタンパク源ですから」

 

 

こいつは何を言っているのだろう、何を言いたいのだろうと思いながら、朝陽は一歩後ろに下がる。何か、決定的に自分と会話が噛み合っていないような感覚がしていた。

 

 

「私たちの考え方は、それに近いのです。死体は、もはや亡くなった故人そのものではない。死体に、肉の塊以上の価値を見出せない。価値観の相違、というやつでしょうかね。姿形は似ていても、あなた方と私たちは、やはり違う生物なんでしょう」

 

 

そんな訳のわからない哲学のようなことを言いながら、ダンは踵を返し、母親の死体の元へと歩を進める。

 

 

「しかし、だからといって、私が母のことを敬っていないという訳ではありません。純粋にすばらしい人徳者だったと尊敬もしています」

 

 

彼は母親の前で膝をつくと、帽子を外し、頭を下げた。朝陽には、この男の考えがまるで分からない。口であんなことを言っておきながら、『人間のやり方』に倣うかのように、熱心に頭を下げている。まるで、最初はその作法を知らなかっただけだとでも言うかのようだ。

 

 

「……じゃあ」

 

 

ひょっとしたら、この人と分かり合うこともできたのかもしれない。そんなことを考えながら、彼女は口を開いた。

 

 

「なんで、飛行機事故を起こしたんですか?」

 

 

「…………」

 

 

ゆっくりと腰を上げながら、ダンは振り返った。

 

 

「それは……カマをかけているのですか?」

 

 

「……否定、しないんだ」

 

 

朝陽は半歩後ろに下がる。なぜだか分からないが、彼女は妙に頭が冴えていた。いつもの彼女なら、あの女性が死んだ時点でパニックを起こしていたところだろう。しかし、今の彼女は不自然なほどに落ち着いていた。

 

 

「さっき、そこの金髪が、あの人の右腕を奪ってくっつけてた。そして、あなたの左腕も同じだってことをほのめかしてた。最初は、単にあなたが母親から貰ったものかもしれないと、そういう考え方もできると、思ったけど……あの人は、右腕以外の四肢が、ちぎられていた」

 

 

ダンは何を言うまでもなく、観察するような目で朝陽のことを見ていた。

 

 

「どういうわけか分からないけど、あなたたちはあの人の身体の一部を、狙ってる。この飛行機事故は、あなたたちがそれを得る、そのためだけに起こされた」

 

 

違う?という朝陽の問いかけに、ダンは口元に笑みを浮かべた。

 

 

「大した想像力ですが……確証性に欠けますね」

 

 

「そうかもしれないけど、一つはっきりしていることがある」

 

 

まるで、子どもの言っている戯言を聞いてあげている大人のような、そんな優しい笑みだった。その顔に向かって、朝陽は言った。

 

 

「あれだけの回復力を持っているあの人が、あそこまで衰弱するなんて……意図的な『攻撃』でも受けない限り、ありえない。そして、見る限りそこの金髪より、あなたの方が強い。もしもあなたがあの人の味方をしていたとしたら、負けるわけがない。つまり、あなたはあの人を『守った』側じゃなくて、『襲った』側なんでしょ?」

 

 

「……ほう」

 

 

ダンの目が、彼女に興味を持ったとようにキュッと細められる。

 

 

「なかなかいい線です。これだけの情報からそこまで状況を理解できますか。あなたは、とても聡明なようだ。だからこそ惜しいですね……このいざこざに巻き込まれなければ、あなたはきっと……」

 

 

その時、思案しているダンの顔に影がかかった。いつの間にか起き上がっていたトーマが、ダンの後ろから飛びかかっていたのだ。

 

 

「いつまでトロいお喋りしてんだよ、てめぇらは!!」

 

 

そのまま、彼はダンの頭上に右腕を振り下ろす。それを、振り返りもせずに、足を数歩動かすだけの最小の動きでかわした。

 

 

「ま、時間稼ぎ、ごくろーさん!そのおかげで『目』の効力が切れた!」

 

 

「きゃっ!?」

 

 

その右腕が地を叩いた瞬間、大きな地震のような振動があたりを襲う。その衝撃は建物全体を揺らし、ミシミシという何かが崩れるような音を鳴らし始めた。

 

 

「はは!軽く叩いただけでここまでの威力だ!次は全力で、あんたの体で試してやるぜ、クソ兄貴!」

 

 

トーマは叫ぶように言いながら、再びダンに拳を振りかぶる。それを紙一重でかわしながら、ダンは静かに目を細めた。

 

 

「やっぱりちまちまと頭使うのは性にあわねぇ。とりあえずお前らをぶっ殺して、その遺品全部オレがいただいてやる!オレは、両腕と魔眼、心臓を手に入れて、残る『遺品』もすべて……」

 

 

「よくもまあ、そんな小悪党のような台詞が吐けたものだ」

 

 

何度目かの拳をかわした後で、ダンはスッと間合いに潜り込む。そのままそっと握っていたステッキを放ると、左手でトーマの顔を掴んだ。

 

 

「なっ……!」

 

 

「いいでしょう。そこまで死に急ぐのなら――」

 

 

左手にグッと力が込められた、その瞬間だった。

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