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第1章 邂逅-Happening-【8】
 
 
 


「あなたは……いったい、何者なの……?」
 
 
「何者、と聞かれたら、化け物、としか答えようがないわね」
 
 
自嘲気味に笑いながら、女性はそう答えた。
 
 
「化け……物?」
 
 
「信じてない……いや、よくわかってない、って顔ね。まあでも、こればっかりは事実だから、しょうがないわ。普通の人間には黒い血は流れていないし、鋭い牙は生えていないし……」
 
 
そう口にしながら、彼女は左腕の袖を捲り上げる。
 
 
  
「傷口がものの数十秒でふさがったりしない」
 
 
 
 その光景に、朝陽は思わず目を見張っていた。先ほどまで流血していたはずの左肩には、どこにも傷などなかったのだ。
 
 
「……うそ……」
 
 
「本当なら、ちゃんと元通りに『生えてくる』んだけどね。今は……まあ、ちょっと訳ありで、傷口がふさがってるだけだけど」
 
 
ポカンと口を開けたまま自分を見る朝陽に、女性はクスリと笑う。
 
 
「驚いた?怖くなった?世の中にはね、普通の人は知らないことが……知らなくていいことが、山のようにあるものなのよ。例えば……人を襲ってその血を飲むことで、人間よりも優れた肉体を保てる生き物……とか、ね」
 
 
女性の目が、朝陽を捉える。先ほどはなかった、妙に鋭い光が、その目に宿っている。
 
 
「それ……じゃあ、もうしばらく死なないっていうのは……」
 
 
「ええ、本当のことよ」
 
 
不敵に笑みを浮かべていられるのは、その言葉に嘘偽りがないからなのだろう。それを踏まえた上で、朝陽は呟いた。
  
 
 
「そっか……よかった……」 
 
 
 
「……は?」
 
 
拍子抜けしたように、女性は聞き返した。
 
 
「あの……私、自分が血を吸うこととか……不死だってことをほのめかしたつもりだったんだけど?」
 
 
「はい。つまり、普通の人とは違うってことですよね。このくらいじゃ、死んだりしないんですよね?」
 
 
「……いや……うん、まあ、そうなんだけど……」
 
  
困ったような様子で、女性は言い淀む。調子を狂わされたことに思わず頭をかきながら、朝陽に視線を向ける。
 
 
「その反応は予想外だったというか……もっと、こう……素直に怯えられた方が、こちらとしては反応に困らないというか……」
 
 
「……はい?」
 
 
「……いや、なんでもないわ」
 
 
何かを諦めたように、女性はため息を吐き出した。それから朝陽の事を、しげしげと観察でもするように眺める。
 
 
「……怖くないの?」
 
 
「まあ……こんな状況ですし……どちらかというと、この場に一人でいる方が、怖いです。今でも、こうして会話できてるだけで、だいぶ助かってますし……」
 
 
あんまり怖がってる余裕もないから、と言って、朝陽は苦笑した。
 
 
「あなた、変わり者ね」
 
 
「そんなことないですよ。ただちょっと……暗いとこと一人ぼっちは……苦手なもので……」
 
 
「……なにやら、あなたも訳アリそうね?」
 
 
女性の言葉に軽く頷きながら、朝陽は遠いものを眺めるような目をする。
 
 
「私、小さい頃親から虐待受けてて……父親が、気に食わないことがある度に私のことを部屋に軟禁してたんです。窓のない暗い部屋に。平気で何日間も……もちろん、ご飯抜きで」
 
 
朝陽は右脚を引きずるようにしながら、女性のすぐ右隣まで移動すると、瓦礫に背中を預けるようにして座りなおした。
 
 
「一度死にかけて、警察沙汰になったんです。近所の人に通報されて……」
 
 
「……母親は?」
 
 
「いましたけど、母もDV受けてて、逆らえなかったんです。それで、両親は離婚して……その頃のことがトラウマで、暗いとこと一人が、ダメになっちゃって。以来、寝るときもオレンジ色の電気が消せないし、一人で部屋にいる時は、ずっとラジオとか、音楽とかつけっぱなしで……」
 
 
「ひどい親もいたものね。まあ、人のこと言えないけれど。私はだいぶ放任主義だったし」
  
 
女性はため息を吐きながら、右手を朝陽の頭の上にポンと置いた。
 
  
「実を言うとね、私にも子供がいるの。それも、7人も。これでも色々と忙しくて、結局面倒なんて見てあげられなかったんだけど。まあ、だったら産むな、って話よね。本当に無責任。でも、産まないって選択肢が、当時の私には与えられていなかった。結果、物の見事に曲がった子たちばかり。私の自業自得なんだけどね。……時々、こう思うの。こうしてあげれば、変わっていたかもしれない、って」
 
 
 女性の手が、朝陽の頭をなでる。最後にこんなことをされたのがいつだったか、彼女には思い出せなかった。あるいは、ひょっとしたらこれが初めてだったのかもしれない。
 
 
「あの……こんなこと聞くのもなんですけど、吸血鬼なんですよね?」
 
 
「ええ。一家全員、血を吸わないと生きていけない、夜の怪物よ。……って、その血を吸う張本人の至近距離で、よく尋ねられるわね……」
 
 
 朝陽は微笑みながら、女性の方を向く。
 
 
「だって、あなたは悪い人には見えないし……人の中には、化け物だとか、そんなものよりもずっと悪い人がいっぱいいますから……」
 
 
「それには同意するけれど、そういう次元の話じゃないでしょうに。……それにしたって、どうしてこうも落ち着いていられるの?」
 
 
「たぶん、私にとって、人間も吸血鬼も関係ないんだと思います。重要なのは、こうやってコミュニケーションを取れることだから。少なくとも私は、分かり合える相手となら、こうして落ち着いていられます」
 
 
なんの臆面もなく言う朝陽を前にして、女性は返答に詰まっていた。ただの少女にこんな言葉を言わせるほど、一人でいるよりも化け物とでも一緒にいる方がマシだと思わせるほど、この娘のトラウマは深いものなのかと、驚いていたのだ。
 
 
 「……たぶん、分かり合うことは無理でしょうね。っていうか極力、関わり合うべきではないと思うのよ、私たちは」
 
 
 「大丈夫ですよ。きっと……あ、あれ?」
 
 
 その時不意に、朝陽の体が傾いた。女性は、自らの方へと倒れそうになる朝陽の体を、抱えて受け止める。
 
 
「なんか……クラクラする……」
 
 
「出血多量よ。もう動いちゃだめ。救助が来るまで……」
 
  
そう言った瞬間、女性はハッと、何かに気づいたように息を呑んだ。そして、崩れかかった建物の天井の方を見上げながら、悲しげに微笑む。
 
 
「フフ、どうやら、私の方はもうお迎えが来たみたいね……このまま、巻き込むわけにもいかないし……さて、どうしたものかしら」
 
 
「おむ……かえ?」
 
 
女性は傍らの朝陽に視線を戻すと、慈しむように、彼女の髪をそっと撫でる。
 
 
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったわね。よかったら教えてくれる?」
 
 
「……あさひ」
 
 
ぼうっとする意識の中で、女性がなぜそんなことを尋ねるのかを不思議に思いながら、彼女は答えた。
 
 
「そう、いい名前ね。けど、あなたはやっぱり、私に関わるべきではなかったわ。だって、夜を生きる吸血鬼は、朝を照らす光とは相容れないもの」
 
 
 女性はそう微笑んだ後で、朝陽の頭に右手を回した。
 
 
「あさひちゃん、ちょっとこっち向いてくれる?」
 
 
「……?はい……?」
 
 
言われるままに女性の方を向いた朝陽の、ちょうど額の傷のある部分に、温かい何かがそっと触れる。それが女性の唇だと気づくのに、彼女はわずかに時間を要した。不思議と、先ほど自分で触れたときのように痛みが走ることはなく、ただ温かく優しい感触だけを感じる。
 
  
「……えっと……?」
 
  
程なくして、女性の顔が朝陽から離れると、彼女は照れくさそうに笑った。
 
 
「ちょっとした、おまじない。これからあなたが、光のある道をいけるように。……なんて、吸血鬼に言われたんじゃ、説得力に欠けるかしら」
 
 
「あの……なんで急に、こんな?まるで、もう……」
 
 
 少し不安げな表情になる朝陽に向かって、女性は静かに頷いた。
 
 
「うん。悪いんだけど、私は先に行かないといけないみたい。って、そう怯えた顔をしないで。しばらく隠れてれば……たぶん、すぐにあなたの助けがくるから」
 
 
「……隠れる?……え?何から……?」
 
 
 戸惑う朝陽をよそに、さて、と言って、女性は朝陽の頭から手を離した。名残を惜しむような眼差しに、朝陽の不安感は一層駆り立てられた。
 
 
「じゃあね、あさひちゃん。最後にあなたと話せて、気が紛れたわ。ありがとう」
 
 
女性の腕が、朝陽の腰の辺りを抱えるように当てられる。
 
 
「ちょっと痛いと思うけど、我慢してね。ちゃんと静かにしてるのよ。あ、それと着地には気を付けて」
 
 
「へ?着地……って!?」
 
 
 言うが早いか、朝陽の体は、ぐんと宙に浮いていた。砲台か何かで打ち出されたかの如く、内臓がせり上がるような浮遊感に襲われる。女性は右腕一本のみで、朝陽のことを放り投げたのだ。
 
 
「きゃっ――!?」
 
 
絶叫マシンにでも乗せられているような勢いで、宙に投げ出される。20メートル近く飛ばされ、瓦礫の山に背中から落ちた瞬間、衝撃と痛みで視界が明滅しそうになった。
 
 
「いっ……たぁ……」
 
 
朝陽が呻いた、その瞬間だった。先ほど飛行機がぶつかったのと同じような音が、建物の天井の方から響いてきたのだ。何度も何度も、まるで乱暴に暴力でも振るうようにその音が響く度、天井がミシミシと音を立てながら揺れる。

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