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第1章 邂逅ーHappening-【9】
 
 
 
  
「こ、今度は……何が……」
 
 
その音が響いた何度目かに、とうとう天井を貫いて何かが落ちてくる。ちょうど、女性が横たわっていたあたりの位置だ。天井に開けられた穴からは月明かりが入り込み、舞い上がった砂埃に反射して、光の柱を作り出していた。そしてその柱の下に、何かが佇んでいる。
 
 
「ずいぶんと、いい格好になってるじゃねーの、オフクロ」
 
 
服に付いた埃を手で払いながら、その人物は立ち上がる。耳のいたるところにピアスを付けた、金髪の男だった。典型的な、不良のような格好をしている。
 
 
「あっれ~?ひょっとしてオレが一番乗りか?ハッ、ついてんな!」
 
 
瓦礫の山を踏みつけながら、金髪は乱暴な足取りで女性の方へ近づいていく。どうやら、瓦礫の間に挟まっている朝陽には、気づいていないようだ。
  
 
「……きっと、この言葉はあんたみたいな奴のためにあるんでしょうね……『今更どのツラ下げて来た』?」
 
 
手のかかる子供でも見るように、女性が笑う。それを、金髪はどうでもよさげな顔で聞いていた。
 
 
「このツラだよ。カワイイカワイイ息子の顔、もう忘れちまったのか?歳だな~、あんたも。もっとも、オレは介護なんて御免だぜ?」
 
 
そう言いながら、彼は女性の下半身を押し潰している金属の塊を蹴り上げた。先ほど朝陽がどかそうとした時にはビクともしなかった巨大な金属が、片足で軽々と飛ばされ、地響きのような音を立てる。分かってはいたことだが、この金髪も、女性と同じく人間ではないのだろう。しかし朝陽には、この男がどうしても、女性のように話が通じるタイプには見えなかった。
  
 
そうなれば、相手が人を襲う可能性のある以上、朝陽がとれる行動は二つしかない。隠れるか、逃げるかのどちらかだ。
 
 
しかし、右脚が思うように動かない今、実質このまま隠れているよりほかに選択肢はないようなものだが。女性が言っていたように、朝陽は静かに隠れていることにした。
 
 
「……チッ、やっぱり両足も兄貴どもに先越されたみてーだな」
 
 
下敷きになっていた女性の体を見て、金髪は忌々しげに毒づく。
 
 
「まあいいや。残ってるの全部もらえれば、おつりがくるくらいだ。知ってっか、オフクロ。こういうの、日本じゃ『残り物には福がある』っつーんだぜ」
 
 
「親の身体を物扱いしてる時点で、福なんて巡ってこないわよ、この罰当たりが」
 
 
「おー、コワイコワイ!ま、ちゃんと残りカスは処理しといてやるからさ、それで許してくれや。ほら、親コーコーってやつ?」
 
 
二人が何の話をしているのか、朝陽にはいまひとつ理解できていなかった。だから、金髪が女性の側に屈んだのを見たとき、ただ単に、彼が自身の母親を助けようとしているのだと思っていた。
 
  
「んじゃ、さっそく貰うもん貰うわ」
 
 
金髪の男が女性の方に手を伸ばし、口にする。
  
 
 
「ってわけで、死ね」
 
 
 
朝陽の耳にその言葉が届くか届かないかのところで、彼の右手が女性の首に突き刺さっていた。グシュッ、と、果物に刃物が刺さるような音と共に、女性の口から黒い血が溢れ出す。その光景を、朝陽は瞬間的に理解する事ができなかった。
 
  
「……なっ……!」
  
 
思わず声をあげそうになった朝陽は、慌てて自分の口を押さえる。目の前で起きている、理解の及ばない惨事に、全身が総毛立っていた。あまりの状況に、慄いた朝陽の体が微塵も動かない一方で、金髪が女性の首から勢いよく腕を引き抜く。それと同時に、せき止める物を失った傷口から、ドクドクと血がこぼれ出した。
 
 
「まぁ、吸血鬼の血なんてただクソまずいだけだが……しかたねえ、これも『遺産』のためだ」
 
 
金髪は女性の胸倉を掴むと、その傷へと顔を寄せる。そして、流れる液体に舌を這わせたかと思うと、直後、彼は何の躊躇いもなくその首筋に嚙みつき、喉を鳴らした。
 
 
――飲んでいる。傷口から溢れる黒い血を、男は啜るように、音を立てながら飲んでいるのだ。
 
 
女性の顔が、辛そうに歪む。まるで、肉食動物が獲物を貪っている光景を見ているような気味の悪さに、朝陽の体は細かに震えていた。
 
  
「……や、やめて!」
 
 
――止めなければ。直感的に、朝陽はそう思った。
  
 
「……その人から、離れて!」
 
 
大きな瓦礫の破片に掴まりながら、朝陽は身体を起こす。獲物に噛り付いていた金髪は、それに気づいて怪訝そうに顔を上げた。
  
 
「……あぁ?」
  
 
金髪が不機嫌そうな声を上げるのと同時に、女性が「しまった」という顔で朝陽に視線を向ける。
 
 
「なんだなんだ?何ですか、テメエはぁ?生き残ってた乗客か?」
  
 
気だるそうに言いながら、金髪は手近な瓦礫の隙間に手を突っ込み、何かを探すようにまさぐる。
 
  
「ワリィんだけど、親子水入らずの時間を邪魔しないでくれるかなぁ?いくら温厚なオレでも、そういう非常識なのは許せねーんだわ」
 
 
金髪が瓦礫の間から引き抜いた手には、コンクリートが付いたままの鉄筋が握られていた。恐らくは、建物の一部を構成していた物だろう。曲がった鉄筋と、その先端にあるコンクリートの塊は、歪な形のハンマーのようだった。 
 
 
「しゃしゃるな。ちょっと黙ってろ」
 
 
男が、鉄くずを持った右手を振りかぶる。言うまでもなく、投げるつもりだ。あの巨大な瓦礫を蹴り飛ばすような怪力で、朝陽に向かって投擲する気でいるのだ。
 
 
負傷した右足のせいで、避けることはできない。それでもどうにか、この場から離れようと試みるが、瓦礫だらけの足場では数歩分も移動できなかった。まさに、男の手から鉄くずが離れようとした瞬間、朝陽が咄嗟に腕で顔を庇おうとした、その時だった。
 
 
「――なっ!?」
 
  
ゴキン、という鈍い音とともに、何かが宙を舞っている。それが自らの右腕だと気づいた瞬間、男は声をあげていた。その手に握られていた鉄くずが、朝陽と男の間に落ち、重い音を立てる。
 
 
驚きに目を見開く男の眼下で、女性が上半身を無理やりに起こし、残った右腕を振り抜いていた。
 
 
「こ……の……死に損ないがっ‼」
 
 
男は左腕で女性の右腕を掴むと、女性の身体を何度も踏みつける。
 
 
「ちっ……まだ力を残してやがったか……大方、オレが隙を見せたところで首でも刎ねるつもりだったんだろうが……しくじったな!」
 
 
まるで鬱憤を晴らすように、男は何度も何度も女性をいたぶる。喉の傷口や口から、黒色の血がゴボゴボと溢れた。
 
 
「おいおい、どーしたよ!?ははは!さっきので終わりか!?」
 
  
嘲るように笑いながら、男の足は女性の体を踏みつけ続けた。その勢いに、床が軋みをあげ、だんだんとひび割れていく。
 
 
「あ……ぁ……」
 
 
 その光景を見て、朝陽は頭を抱えてうずくまる。耳を押さえても、女性が蹴りつけられる音がその奥に響いてくる。それは、彼女が一番思い出したくない記憶をフラッシュバックさせるのに、十分なものだったのだ。
 
 
母親が、父親に暴力を振るわれている姿。
 
 
目の前の光景が、それと重なっていく。
 
 
「違う……ちがうちがう!」
 
 
考えを振り払うように、朝陽は頭をより強く抱え、目をギュッと瞑る。しかし、まるで網膜に映像が焼き付いているかのように、母親がなぶられる光景が消えてくれない。
 
 
「ち……が……」
 
 
それは、おそらく自分が覚えている記憶の中で、最も古いものだった。初めて父親に手を上げられた記憶。
 
 
そして、それを庇おうとした母親が、自分の代わりに殴られ、蹴られる。
 
 
――今の状況に、どこか似ている気がした。
 
 
「……ち、違う!違う、違う……コレは……違う……関係ない……関係な……」
 
 
必死で、自分に言い聞かせる。瞼の裏に焼きついた映像をかき消そうと、彼女は躍起になっていた。
 
 
何とか自分を逃がそうとする母親と、何もできずに怯えている幼い自分。どうしても、今の状況に重ねてしまう。
  
 
「ち……が……ぁ」
 
 
その時、何かがパキッと折れるような音が、彼女の耳に届いた。恐らく、骨の折れる音だ。音の軽さからして、肋骨が踏み折られたのだろう。その音に、思わず朝陽は目を見開き、女性の方へと視線を向けてしまった。
 
 
「……ぁ」
 
 
女性と、目が合った。朦朧とし、意識のはっきりしていないような視線が、朝陽の方に向いていた。
 
 
女性の口が、弱々しく開かれる。無論、声など聞こえないはずだが、朝陽は唇の動きを目で追ってしまう。
 
  
それは、はっきり「逃げて」と言っていた。
 
 
 「ぁ……あ……」
 
 
 
その光景は、完全に母親のそれと一致してしまった。
 
 
 
「あ……あああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
 
 
 直後、朝陽は立ち上がり、足場の悪い瓦礫の中を駆け出していた。

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